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The Documentary of Fire fighters

 
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  • 11/23/12:35

第1話 『あの教訓を忘れない・・・』

cf17c421.gif 神戸の街を訪れるたびに、脳裏には今でもあの時の状況が鮮明に蘇ってくる。
 突然訪れた激しい揺れは、地震というイメージを遥かに超越したものであった。
 平成7年1月17日5時46分に発生した、兵庫県南部地震は多くの尊い命と莫大な財産を一瞬にして奪ってしまうことになった。

 私はその当時、救急救命士の資格取得のため、神戸市救急救命士養成所第○期生として入校中で、神戸市灘区から養成所のある神戸市中央区まで電車で通学する生活を送っていました。
 震災前日の夜、何の前触れを感じることもなく、またこの様な災害に巻き込まれるということは全く頭にないまま、いつもと同じように床に就きました。

 そして翌日未明、大地震が発生!

 突然襲った激しい揺れに、床から飛び起きた私は何が起こっているか全く考える間もなく、暗闇の中でこれまで経験したことのない激しい揺れを感じながら、いつのまにか「死」という言葉が脳裏を過ぎり、自らの命の危険を感じたことを覚えています。

 長く感じられた揺れも一旦収まり、避難するため部屋の柱に掛けておいた懐中電灯を探したが壁には掛かっておらず、散乱している床面を手探りで探しました。
 ようやく探し当てた懐中電灯を手にすぐさま屋外に避難するためのドアに向かったとき、懐中電灯に照らされた様子はまるで部屋をひっくり返したような感じでした。
 私は部屋から出ようとドアロックを解除してドアを開けようとしましたが、ドアは激しい揺れにより変形していたためなかなか開かず、余震の恐怖を感じながらドアをこじ開け、何とか自力で屋外に避難することができました。

 そして屋外に出た私の目に最初に飛び込んできたのは、付近の木造家屋がことごとく倒壊した光景で、更に辺りにはガス臭がたちこめていました。
 このときの周りの悲惨さと、その異様な静寂が、むしろこの災害の大きさを物語っていました。
 私は暗闇の中、同じ住宅に住んでいる同期生と協力して、建物内に閉じ込められた人たちを助け出そうとしましたが、何の道具も持たない私たちにとってその作業は困難を極めました。

 夜が明けるにつれて周りの悲惨な状況が明らかとなり、ラジオから直下型の地震であることが分かりました。
 そしてしばらくするとあちらこちらで黒煙が出ていることに気が付き、特に東側については近くで火災が発生しているようでした。
 私たちは消火作業を行うため、住宅の北側に隣接する灘消防署に駆け込み、予備のポンプ車を使って灘消防署員と共に防火水槽、学校のプールなどに水利部署を変えながら消火活動を行うこともありました。
 また、消火活動中も炎が迫る中、家屋から助けを求める声が聞こえたため、急遽救助活動を行うこともありました。

 消火活動も一段落したころ、私たちは救助を主体として活動を行うこととなり、救助の要請があった家屋を順番に廻って行いました。
 要救助者の殆どは家屋の一階部分の倒壊により一階に閉じ込められたもので、家屋の二階部分から進入して、のこぎり等により二階の床面、一階の天井等を取り除いての救助活動でしたが、梁や柱に挟まれている状況で、すでに亡くなられている人が殆どでした。
 その日は、日が暮れるまで救助活動を主体に行動し、その夜自宅に戻りました。

 この震災の状況をテレビや新聞等で見た人は、大震災に対するこれまでの備え、防災訓練など役に立つのだろうかなど、人間の無力さを痛感したことと思います。
 確かにマスコミを通じて我々に伝わってくる被害の状況を見る限り、人間の無力さだけが際立ってしまうのは仕方がないことなのかもしれません。
 また、自衛隊の出動が遅かった、防火用水の整備がなされていなかった、水や食糧を備蓄していなかったなど、行政の初動体制や防災対策の不備については、特にマスコミから責められることとなりました。

 しかし、大災害に対し人間は無力だったのでしょうか。
 行政の初動体制や防災対策を万全にすれば被害がなくなるのでしょうか。
 それはとんでもない間違いだと思います。
 震災により多くの命と莫大な財産が奪われた反面、あの激震から自らの命や財産を守ることができた人はその数百倍に上っています。
 今回の震災では、特に淡路島の北淡地域の被害を最小限にとどめたのは地元消防団員と地域住民による救援、救出活動であり、また阪神地域においても、地域住民が協力して倒壊家屋に閉じ込められた人を救出したり、消火栓が使用できない中、大火から地域を守った人々が大勢いたのです。
 そして、今後行政がとてつもない費用を掛けて初動体制などの防災体制を整備したとしても、全ての災害現場に到着するには数時間を要するため、火災の延焼防止、倒壊家屋からの救出活動で重要であるこの時間は住民だけで災害と戦わなければなりません。

 このようなことから、災害に強いまちづくりの基盤はやはり住民一人ひとりの自主的な防災活動に負うところが多く、これは防災対策の原点であり、自主防災組織の確立・強化には必要不可欠な要素であることは今更言うまでもないことです。
 しかし、このことは過去の震災の教訓にもあったことですが、その真の大切さは大震災と闘った人のみが知ることができるもので、それ以外の人間は時間とともに風化してしまっているのが現状です。

 阪神・淡路大震災は私たちに幾多の教訓を残しました。
 私達は、この大震災で犠牲になった多くの命を無駄にすることなく、また防災に対する意識、助け合い、いたわりと言った震災と闘った人々の訴えを風化させぬよう、機会あるたびに震災体験者としての生の声で防災意識の大切さについて訴え続けて行こうと思います。
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